2011年05月04日

ミスラ教と原人の殺害

3Cにはシリアでヘレニズム的な影響の中で、ミスラの新しい神話がまとめらました。
この時まではズルワン主義やゾロアスター教のミスラ派と言える潮流が、新たに「ミスラ教」と言えるものになったのです。
そして、さらにミスラ教は秘儀宗教化して「ミトラス教」となってローマ帝国内にも広がりました。


ミスラ教の神話には様々なヴァージョンがありますが、ここでは12星座に対応させて編集されたものを紹介しましょう。


神話は「山羊座(カプリコーン=ヤギ魚座:バビロニア、メディアでの星座の別名、本来の名前をカッコ内に書きます)」の時代から始まります。
霧の海のソフィアにあった卵からズルワンの光を受けてミスラが生ます。
ミスラには黄金の龍が巻きついていています。
この龍は7羽の火の鳥に変化して飛び立ち、1羽が迷ってしまいますが、ミスラが笛を吹いて呼び戻します。


「水瓶座(巨人座、流水座)」の時代には、ミスラが天神と地神にマズダ、アパム・ナパート、アーリマンの3兄弟を生ませ、マズダが主権を与えられます。


「魚座(大きなつばめ座)」時代には、マズダがミスラをモデルに、アパム・ナパートから生命の種子をもらって原人間を創造します。
不満を持っていたアーリマンは原人間を殺し、聖牛を連れ去ります。
原人間は光のかけらとなって地上に落ちます。
そして、アーリマンは寒さによってあらゆる生物を死にたえさせ、宇宙を汚します。
ですが、マズダがアーリマンを地下に追い落とします。


「牡羊座(貴公子座)」の時代には、ミスラが洞窟に降り、太陽神ソルをして暖かくさせます。


「牡牛座」の時代には、ミスラが聖牛を連れ戻し、供犠にして、生命の水のような血を宇宙に流します。


「双子座」の時代には、その血が灰の上にこぼれることで双子のスラオシャとラシャヌが生まれます。
前者は血を水瓶に集めて生命を養い、後者は死後の魂を裁くことで、生死の循環を正しました。


「蠍座(北門座)」の時代には、ミスラは血を水瓶に集めて月に運び、月の女神がそれで宇宙を浄めました。
また、ミスラは光のかけらを集めて、それを入れて最初の人間の夫婦や動植物を創造しました。
最初の夫婦は双子座の時代に創造されたという説もあります。


「獅子座(犬を連れた主人座)」の時代には、ミスラは太陽から光を注ぎ、地上の植物を成長させ、人間の夫婦に自我を芽生えさせました。
自我が芽生えたことで欲望も生まれました。
「犬を連れた主人」とはアーリマンのことで、欲望にアーリマンが働きかけています「乙女座(麦穂座)」の時代には、ミスラは人間の夫婦に反省心を植え付け、豊かに実った麦穂を与えました。


「天秤座」の時代には、ミスラは2人に聖なる言葉を与え、これによって判断力、知性が生まれました。


「蠍座」の時代には、大魔母のアズが最初の人間の男を誘惑して汚します。
その後、人間の子孫を作っていきますが、子孫達も汚れています。
ミスラは地下に降りてアーリマンを改心させます。
アーリマンは第1の天使に復帰して人間の魂の浄化を守護すると誓います。


「射手座(遠くを見る者座、弓座)」の時代には、ミスラが地下に降りている間に干ばつが起ったので、ミスラに祈ると、ミスラは地上に戻って岩を射て泉を湧かせました。
人間はミスラへの強い信仰を持つようになりました。


一巡にして「山羊座」の時代には、ミスラはマギ達にアーリマンが天使に復帰したことを秘密として封印させ、パンとワイン(聖牛の血)の聖餐を行いました。
そして、ミスラは太陽に戻って守護しました。


他のヴァージョンの神話では、アーリマンは改心せず、この後、最終戦争をいどみます。この時、ミスラが白馬に乗って現れてアーリマンと戦います。
ミスラは善良な人間などの光の共達を宇宙の外へ避難させ、アーリマンを撃退します。
しかし、一定の時間が経過すると、宇宙が業火につつまれて燃えつきます。
そして、また新たに宇宙が作られます。これが永遠時間の神ズルワンが定めた宇宙の循環する運命なのです。


12星座版の神話では、人間の霊魂は殺害された原人間の一部である光のかけらですが、悪神との混血なのです。霊魂の神性とその死がはっきりと示されています。
もう一つ、ゾロアスター教との違いは、マズダと兄弟で堕落天使的な存在のアーリマンが、天使に復帰して人間を守護していることです。
悪神的要素は善なる方向に転化できることを示していてとても興味深いものです。

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2011年05月02日

秘儀宗教としてのイエスとキリスト教

「死して復活する神」というキリスト教のイエス像は、ユダヤ的伝統からだけでは生れ難いもので、そこにはオリエント・ギリシャの秘儀宗教からの影響もありました。
キリスト教は信仰だけではなく、「洗礼」と「聖餐」という秘儀(秘跡)を行うことによって救われると考えました。
また、一部の秘教的なキリスト教では、他にもこの2つ以上に重要な秘儀があったようです。
「塗油」、「洗足」、「聖婚(花嫁の部屋)」、「救済」などです。
これらの秘儀には秘儀宗教の大きな影響があります。


キリスト教の水を振り掛ける儀式である「洗礼」の背景には秘儀宗教の影響を考えることができます。
ゾロアスター教の影響を受けたユダヤ教のクムラン教団は、水槽に浸かる毎日の沐浴を行っていました。
洗礼者ヨハネは川の流水に浸かる一度きりの洗礼を行っていました。
ユダヤ的に考えれば、これらはノアのように洪水を生き延びて浄化されることを意味するのでしょう。
ですが、流水に浸かる一度きりの洗礼というあり方は、秘儀宗教の方法と同じなのです。
また、洗礼者ヨハネを崇拝するグノーシス主義的なマンダ教は、流水に浸かる毎日の沐浴を現在まで行っています。


パンとワインの「聖餐」は、直接的にはゾロアスター教からクムラン教団にいたる流れを受け継いでいるかもしれません。
その本来の意味は、終末時に永遠の生命を得る饗宴の先取り的な儀式です。
ですが、パンとワインをイエスの肉と血と見なすという見方は秘儀宗教の発想です。
その本質は、キリストへの一体化、キリストの受難の追体験であって、教会はミサでパンとワインを神に捧げますが、これによって教会はキリストと一体化して供犠を繰り返しています。
パウロによれば、教会は失われたキリストの「体」、あるいは「花嫁」なのです。


福音書を秘儀宗教の知識を持って読むと、そこに秘儀宗教の影響を読み取ることができます。


細かい違いはありますが、正典福音書ではベタニアのマリアがイエスに「頭に注油」、もしくは「足に塗油」します。
男性の弟子達はこれらの行為の意味を理解できませんが、イエスはこれが「埋葬の準備」としての重要な行為であると述べます。


ユダヤ語の「メシア」とギリシャ語の「キリスト」は「注油(塗油)された者」という意味です。
ユダヤの伝統では「(頭に)注油された者」とは通常、「王(司祭)」を意味し、場合によっては「預言者」や「賢者」をも意味します。
注油する者は一介の女性などではなく、神、あるいは神に近い存在です。
これは「埋葬の準備」とは関係ありません。


一方、足への「塗油」はユダヤにおいても埋葬の習慣です。
ですが、ベタニアのマリアはイエスが生きているうちにその隠された意味を理解しながらこれを行っていたのです。
「塗油」はエジプトでは復活への呪術であって、イシス女神がオシリス神を復活させた神話に由来します。
また、「塗油」はオリエントの女神に仕えその分身となる神殿付属の「聖娼」が、「聖婚の儀礼(性的儀礼)」の時に行う行為です。


つまり、イエスをめぐる「注油」や「塗油」の背景には、女性が司祭的な役割を行う秘儀の観念、エジプトの秘儀宗教や「聖婚」の観念があるのではないでしょうか。


また、正典福音書では、男性の弟子ではなくマグダラのマリアら数人の女性だけがイエスの十字架上の死と埋葬(塗油)に立ち会います。
そして、彼女は復活したイエスを最初に目撃します。
これらはベタニアのマリアの「塗油」と一連の意味を持っています。
ベタニアとマグダラの2人のマリアは同一人物という説もあります。
つまり、マリア達はイシスやネフティスらエジプトの女神がオシリスに対して行った(死と)復活を司る秘儀的な女性司祭の役割をイエスに対して行っていたと推測できるのです。


『マルコ福音書』では「白衣の若者」、『マタイ福音書』では「白衣の天使」、『ルカ福音書』では「輝く衣の2人」、『ヨハネ福音書』では「白衣の2人の天使」が墓場のイエスの側に登場します。
秘儀宗教的な解釈では、最初の「白衣の天使(若者)」は復活した神、霊魂の本来的な神性の象徴で、「若者(子供)」というのは多くのオリエントの秘儀宗教の神の性質と共通します。


エジプトの文脈では復活するのはオシリス神ですが、イシスとネフティスという2人の女神が死者の頭側と足側に立ち、死者は彼女らによってオシリスとして復活します。
『ヨハネ福音書』の2人の天使もイエスの遺体の頭側と足側に立ちます。
「ルカ福音書」と『ヨハネ福音書』に登場する2人(の天使)の本来の意味は、女性司祭の役割を果たした「マグダラのマリア」ら2人の女性に降りた女神イシスとネフティスであったはずです。


秘教的な側面を持つ当時の宗教が一般信者と一部の秘儀伝授を受けたインナー・サークルの弟子達を分けていたように、イエスの弟子達にもインナー・サークルが存在したのかもしれません。
福音書から想像するとそのメンバーは、マグダラのマリアやベタニアのマリア、そしてサロメ、ラザロ(彼はベタニアのマリアの弟で、『ヨハネ福音書』ではイエスによって生き返らされたことになっていますが、実際はイニシエーション的な秘儀を受けたのかもしれません)、トマスらであって、決してペテロやヤコブやマタイなどのキリスト教教会が権威の源泉とした人物や正典福音書の著者達ではありません。


おそらく正典福音書の著者達も、彼女達の行ったことの意味を十分に理解していないか、それを明記したくなかったのでしょう。
なぜなら、ユダヤ教にも正統派キリスト教にも女性蔑視の思想があるからです。
ですが、彼女達の行なったことを否定したり、無視することはできない状況だったのでしょう。


つまり、もしイエスの教団にインナー・サークルがあったとしたら、イエスの十字架上の死と復活の一連のストーリーは、イエスとインナー・サークルの弟子達が仕組んだもので、これはオリエント秘儀宗教の死と復活の儀式を、公開して行うものだったのでしょう。
インナー・サークルはなかったとしても、少なくともイエスに対してこのような秘儀宗教的な解釈を行った人々はいたのです。


イエスが秘儀宗教的な思想を持っていたとしたら、イエスと女性達は「聖婚」の秘儀を行っていたかもしれません。
ヘレニズム期の女神の神殿には「聖娼」と呼ばれる女性司祭がいて、男性信者と性的な儀式を行うことによって女神の神性を男性信者に与えてイニシエーションを施したのです。


この「聖娼」の時、聖娼は男性信者に「塗油」を行っていました。
秘儀宗教の論理では、「聖婚」の儀式は神的な女性原理が霊魂の本来的な神性の復活を司るという意味となります。
つまり、イエスに対してマグダラのマリアらが行った死と復活の秘儀としての「塗油」は、「聖婚」と等価なのです。
正典からはずされた『トマス福音書』ではサロメが、『フィリポ福音書』や『マリア福音書』ではマグダラのマリアが、イエスの性的パートナーであるとほのめかされています。
これは世俗的な意味ではなくて、性的儀礼もしくは、霊的・象徴的な意味でしょう。


イエスの最も正統な後継者・使徒であったかもしれないマグダラのマリアは、女性蔑視を続ける正統キリスト教会から逃れて、南フランス地方へと伝道したという伝説があります。
マグダラのマリアを信仰する一派は実在しましたが、彼らは地下に潜って表面上はキリスト教を装いました。
ですが、この派は黒い聖母マリア像を持つという特徴を持っています。この黒い聖母マリアは、女性司祭としてのマグダラのマリアの神性を受け継いでいるのです。

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正統派キリスト教のイエス

キリスト教の神話にも、「堕落・救済神話」や秘儀宗教の影響を受けた部分があります。


キリスト教は実在したであろう人物であるイエスに由来しますが、イエスがどのような思想を持っていたか、どのような人生を生きたか、確かなことはほとんど分かっていません。
しかし、バートン・L・マックらによる聖書学の厳密な研究による説が最も有力であると思います。
それによれば、イエスその人の思想は、ギリシャ哲学の一派のキュニコス派の思想に近いものです。
その思想は、一切の社会的な因習などを否定して、必要最小限の生活をするというもので、宗教的な側面はほとんどありませんでした。


しかし、イエスの死後、様々な地域、様々な時代に、様々な人々によって作られたイエス像が結びつけられ、キリスト教が生まれました。
ユダヤ教の神話・叙事詩を曲解し、イエスの神話とイエスの教えを広めたとされる使徒の神話に結びつけることで、キリスト教が生まれたのです。


正統派キリスト教の神話は、4つの福音書、『ヨハネ黙示録』、『パウロの手紙』などをもとに作られた、次のようなものです。
まずは、過去に起こった出来事として神話です。


イエスは「神の一人子」あるいは「言葉(ロゴス)」と呼ばれる神的存在です。
イエスは聖霊と処女によって原罪を持たない存在として地上に受肉して降下します。
イエスは様々な「癒しの奇跡」などを行います。
イエスは「預言者」として神による「審判の告知」を行います。
そして、迫害を受けて、人々の罪(アダム以来の原罪)の「あがない」のために死にます。
イエスは「復活」して父なる神の元に「昇天」します。
イエスはこのあがないによって、モーゼのもたらした律法に代わる新たな愛の契約を、ユダヤ人以外の人間にももたらします。


次は未来の出来事として預言された神話です。


イエスは父なる神をして正しい人々に「救いの霊」、「真理の霊」である聖霊を送ります。
イエスはやがて白馬の乗った騎士の姿のメシアとして再来し、天使と共に悪魔や悪の王国を一時的に撃退して1000年間の神聖な統治(千年王国)を行います。
その後、悪魔達が復活しますが、神の軍勢と天の火によって最終的に撃退されます。
イエスは人々を裁き(最後の審判)、悪人は火の池に投げ込まれます。
天地は消え去って新しい天地が生れて、「新しいエルサレム(神の国)」が花嫁のように着飾って天から降りてきます。
そこには生命の水が流れる川があり、生命の樹が生えています。
すべての正しい人々は浄化された肉体で復活してここで永遠の生を得ます。
イエスは「人の子」としてこの神の国を神と共に統治する存在です。


イエスは「メシア」=「キリスト」とされました。
このギリシャ語の「キリスト」と、ユダヤ語の「メシア」は、直接的には「油を注がれた者」という意味です。
ユダヤの伝統では「王」、「預言者」などを指しますが、特に「征服者からイスラエルを解放して繁栄を与える王」を意味し、特別な意味を込めて「神の子」とも呼ばれます。
イエスを指す「キリスト」は、キリスト教独自のより複雑な意味を持ちます。


イエス=キリストの神話には様々な神話的人物像が合成されています。
旧約聖書で言えば、「列王記(昇天した預言者エリア)」、『イザヤ書(メシア、あがないのため苦難を受ける僕=小羊、癒しを行う者、神の審判を告知する預言者)』、『ヨナ書(あがないのため3日間魚に飲まれて解放された者)』、『ダニエル書(終末に神の国を受け継ぐ「人の子」)」、「知恵文学(知恵、知恵の子)」などを背景にしています。
ですが、複雑に合成されたこのキリストとしてのイエス像は、ユダヤ人にとっても理解し難いものでした。
また、イエスの処女懐胎や、終末論には多くの点でゾロアスター教の神話の影響があります。


イエス・キリストの神話の中の「死して復活する救済の神」という側面は、ユダヤの伝統ではなく、オリエント・ギリシャの秘儀神話の本質と重なります。
秘儀宗教では神の死は霊魂の本来的な神性の地上性への埋没を、神の復活はその地上的な意識の死と神性の復活を象徴します。
そして、その追体験は霊的な人格への変容を促して救済となります。


ですが、キリスト教ではイエスの死は人間の原罪をあがなうもので、イエスの復活は人間の終末の復活の先取り、あるいはその保証という意味を持ちます。
キリスト教は、イエスのあがないの死と復活を近い過去の歴史的な事実を信じて、教会に加わることで救われるとしました。
イエスの原罪のあがないは、宇宙と人間の堕落の回復への一つの区切りを意味するわけで、完全な回復は、終末において浄化した体の復活と同時に達成されます。
ですから、秘儀宗教のように、人間の霊魂が死後に身体を脱ぎ捨てて神の世界に復帰するわけでもなければ、現世において人間が霊魂の神性を取り戻すわけでもありません。


イエスの「あがないの死と復活」は、秘儀宗教のようなイニシエーション的な意味を持つものではありません。
そうではなく、原始的な「供犠」、つまり小羊に代表される動・植物やシャーマン自身を供える「供犠」の論理に近いものです。
神に供犠を供えることは、無意識的なレベルでは意識が利他的に無意識的なもののために働くことを象徴します。
イエスの死も無意識のレベルでは旧約の原罪、つまり意識の発生に対して、それを否定してあがなうことになりえるのです。
ですが、通常の供犠は常に捧げ続ける必要があるのに対して、イエスの供犠は一度で原罪をあがなってしまう宇宙的な出来事だというのです。


秘儀宗教やプラトン主義、ヘルメス主義、グノーシス主義が、個人が霊魂の内部に神性を見い出すという認識による救済の重点を置いています。
これに対して、キリスト教は神話化されたイエス・キリストを歴史的事実と信じて教会に加わることで救われるという信仰の点に救済の重点を置いています。
キリスト教は個人の霊魂や自然などの神性を否定したために、個人が直接的に霊的なものを体験する可能性を閉ざしました。
さらに言えば、キリスト教はゾロアスター教とも違います。
ゾロアスター教では、人は信仰よりも善を行うこと自体に救済の重点が置かれているからです。


キリスト教はローマの国教となってからは、他の宗教、つまり、秘儀宗教やオリエント・ギリシャの神学を徹底的に弾圧して葬り去りました。
これらは、多くは古代からの知識を継承する知識人によって担われていたものです。
ヘルメス主義や新プラトン主義に代表されるこういった古代神学や神秘哲学は、イスラム世界に受け継がれて、ヨーロッパにはルネサンス期に復活します。


また、キリスト教は女性の神性を否定したので、多くの女神信仰は歴史の暗部に隠れました。
聖母マリアは後世に神性を認められるようになりましたが、ソフィアのような至高神に近い霊知的な神性を持ちませんし、地母神のような大地性・豊穰性・暗黒性などの側面もまったく持っていません。
ですが、聖母マリアの像の中には「黒い聖母像」と呼ばれる全身が黒色でできた像がたくさんありあます。
これらは、キュベレやイシス、アルテミスなどの信仰が盛んだった場所にあるので、こういった異教の女神が姿を変えて生きのびたものでしょう。

posted by morfo at 23:44| Comment(0) | 堕落・救済神話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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