2013年02月18日

成人のイニシエーション

神話や童話には、人間の成長を扱った物語がたくさんあります。
その多くはイニシエーションと何らかの関係を持っていました。
この章では、人間の成長を思い切って3段階に分けて考えてみます。

まず、社会的な人格や自我を獲得する「成人」のプロセス。
そして、社会的価値観や利己的な自我に捕らわれずに無意識のさらに高い統合を目指す「成熟」のプロセス。
そして最後が、「不死の探究」です。

まず、部族的文化のイニシエーション儀礼から見てみましょう。



成人式のイニシエーションは部族によって異なりますが、その基本的な構造や象徴には世界的な共通性があります。
イニシエーションの基本は、子供の人格として死に、大人の人格を持って再生することです。
また、少年と少女は別々に行われます。
少年のイニシエーションは男性の成人が司り、少女のイニシエーションは女の成人性が司ります。
彼らは魔物や祖霊に扮することもあります。

子供が特定の年齢を迎えたり少女の場合は初潮を迎えると、通常は何人が共同で、両親から隔離されて小屋などのある森の中に連れて行かれます。
この森や小屋は死の領域で、子供は一旦死んだと見なされます。
そのため、森の小屋で生活する間はほとんど裸体で暮らし、体に白い粉を塗って死者であることを示します。
この隔離には家族、特に母親と結びついた子供の心理的構造を否定する意味があります。
子供時代を終えたことの象徴として割礼や抜歯、入れ墨なども行われます。

イニシエーションは長期に渡るものから短いものまで、部族によって様々ですが、その核となる部分をは怪物に飲み込まれて吐き出されることです。
森の中の小屋は怪物(クジラや大蛇の場合もあります)や地母神の子宮を象徴します。
これは神話的には原初の混沌であり、心理的には創造的であると同時に破壊的な無意識です。

この小屋の中で、土の中に埋められたり火にあぶられたりと、苦痛を与えられます。
その後、小屋から出て、新しい成人の服を着て村に戻ります。
小屋から出る時、トンネルや司祭の股下をくぐって出ることもあります。これは出産の象徴です。

つまり、子供は、怪物に呑込まれ解体されてから吐き出されたり、子宮の中に戻って変容して再度生み出されたりして、象徴的に死と再生を体験するのです。
怪物や子宮の中で、天地創造以前の原初のカオスや様々な霊的領域を旅し、部族の宇宙観や創造神話を教えられて、部族の価値観を体現する大人として生まれ変わります。
つまり、神話の宇宙創造や英雄による文化創造を追体験することによって、社会的な人格を確立するのです。
神話の追体験には殺人が含まれることもあります。

少年の場合、ブーメラン、小刀、火打ち石といった道具を与えられて、その意味を教えられます。
これは男性の仕事である狩猟の道具であって、火は文化そのものの象徴です。

少女の場合は、イニシエーションは川辺の小屋で行われることも多いのです。
少女は水の中につけられて象徴的に死に、女性の股をくぐって再生します。
そして、女性としての聖性や創造性に関わる知識、つまり、セックスや出産の秘密、そして機織などの仕事を教えられます。
セクシュアルなダンスも行われます。
アフリカのガボンのある部族には「豹の踊り」と呼ばれるダンスがあって、「女の子が豹に食べられるが母親が豹を殺して腹から女の子を救い出す」という我々がよく知っている童話に似たストーリーを演じます。

少年の場合、成人のイニシエーションは「怪物に呑込まれて、吐き出される」がメイン・テーマです。
怪物は、少年を生まれ変わらせるために自然に吐き出します。
少女の場合、メイン・テーマは「怪物に呑込まれて、救出される」に変化します。
その理由は、女性自身が出産を担ったり、助産の仕事で積極的に子を腹から出さなければならない、つまり、再生させる側だからでしょう。

イニシエーションは、霊的領域、無意識的領域とある種の関係を築くことなので、守護霊を獲得することが必要とされることもあります。
インディアンは共同の儀礼ではなくて、個人的に断食などによるトランス状態の中で守護霊を獲得します。

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成熟のイニシエーション

部族社会では成人儀礼の後に、様々な秘密結社の加入儀礼や昇進儀礼が組織化されていることもあって、人は様々な成熟を目指します。
秘密結社には何段階もの位階構造を持つものがあって、各位階の昇進儀礼では、例えば、特定の精霊に関する知識とそれをコントロールする力が伝授されます。
成熟のプロセスと成人のプロセスは連続的なものだと言えますが、成人が物質的な生産に向かうのに対して、老年に向かう成熟はそこから引退してより霊的な価値観を持つ点で異なります。
成熟のプロセスは心理的には、様々な無意識の力を意識に統合していくのだと解釈できるかもしれません。

シャーマンは秘密結社の高位の人間以上に高い成熟を必要とします。
シャーマンのイニシエーションでは、解体死と再生というとテーマを含みます。
この点では通常の成人のイニシエーションと似ていますが、その実質的な意味はまったく異なります。
シャーマンはイニシエーションで、骨1つ1つにまで解体され、人体の細かい要素の把握と、それと関係した精霊のコントロールを身につけて再生することが要求されます。
また、天上や地下世界など、部族の宇宙観として知られるすべての場所に自由に行き来して、そこにいる霊的存在と親しくなって、様々なコミュニケーションを行います。
それに、火や水晶の獲得も必要です。これらは、霊的視力や不死の魂と関係しています。
シャーマンも無意識の様々な力を意識に統合する成熟を達成していると解釈できるかもしれません。


<シャーマンのイニシエーションのヴィジョン>

シャーマンはイニシエーションの時に、地下世界で精霊や祖霊などによって、体を骨、肉、血などのすべての部分を分離、解体され、頭も取り外されます。
そして、体は大鍋に放り込まれて煮られるのです。
この精霊的存在は、怪物のような恐ろしい存在であると同時に、知識を授けてくれる教師的存在でもあります。

この時、各部位を表す呪術的な言葉を教えられ(言わされ)、様々な病気の原因と治療に関する知識を得ます。
シャーマンには普通の人にはない骨や筋肉があって、それを教えられることもあります。
その後、新しく体が組み立てられて、シャーマンとなって再生するのです。
水晶を体の中に組み込まれることもあります。
目をくり抜かれて新しい目を入れられ、それによって患者の体を透視したり、精霊を見たりする霊視力を得ることもあります。
それから、耳に指を突っ込まれて、草木や動物、精霊の言葉を聴けるようになることもあります。
体の各部には、それぞれの働きを象徴する精霊的存在がいて、自然界にもそれぞれに対応する場所があると教えられる場合もあります。
このようにして、彼は病気を治療することができるようになって、シャーマンとして復活するのです。

死と再生は一般の成人儀礼にも共通するテーマです。
新しい成人は怪物に呑込まれ、噛み砕かれることで、子供として死に、大人として生まれます。
そして、八つ裂きの死と再生は、オシリスやディオニュソスなどの神話にも見られるのですが、秘儀宗教のテーマでもあります。
ちなみに、宇宙人によって人体実験されるという現代の神話的体験も、このシャーマンの解体のイニシエーションを原型としているのでしょう。
ですが、解体と再生が治療能力の獲得と関係しているのは、シャーマンだけの独特なものです。

シャーマンの解体=骨への還元の意味を、魂の不死性の獲得であると象徴的に考えることもできます。
ですが、解体には霊的な手術という意味合いがあるかもしれません。

精霊によって手術を受け、他人に力を与えることができる体に改造されるヴィジョンを見ることもあります。
またティエラ・デル・フェゴのヤーガン人シャーマンは、顔をこすることによって第2、第3の皮膚を現し、それを霊視できるようになります。
こういった一連の体験は、気の体(エーテル体)あるいは魂の体のコントロール能力と、感覚の変容(霊視能力の獲得)を目的としているのかもしれません。
解体は単なる象徴的体験やヴィジョンだけではなく、実際に客観的霊的存在による霊的な身体の改造(手術)が行われている可能性もあります。

身体の各部位を指す呪術的言葉には、その対象に対する操作能力があります。
こういった魔術的能力を秘めた言語は、後世のマントラや神名の原型と考えることができます。
シャーマンは精霊や動物とも、こういった象徴的・動物的言語で話をします。
シャーマンはイニシエーションの時以外にも、動物主への供犠として自分の身体を捧げたり、治療のために悪霊に自分の身体を捧げることもあります。
こういったシャーマンの解体、供犠のヴィジョンは、チベット密教の「チュー」の修行へも受け継がれます。
         
<シャーマンの飛翔のヴィジョン>

シャーマンは数日から長期に渡るイニシエーションを通じてシャーマンとなります。
核心的なイニシエーションは、トランスや夢などのヴィジョンの中で行われます。
シャーマンになることを決めた精霊、あるいは先代シャーマンが守護霊に引き合わせて、彼らのいずれかが霊界や魂の世界を案内し、シャーマンにとって必要な術を教えます。

通常は、まず地下世界へとトリップして、様々な試練を越えて道程を進んでいきます。
地下世界へは、大地の穴、洞窟、泉、樹の根などから降りていきます。
そして、爬虫類の姿になって苦悶する死者の魂で満たされた川を舟か泳いで進んだり、道程の途中で死んだシャーマンの骨が朽ちている橋を渡ったり、険しい山を越え、森を抜け、蛇や怪物などの障害を克服し、時には呑込まれて体の中を通り抜けたりして進みます。

そして、精霊などによって体を解体され、再度組み立てられ、新たにシャーマンの能力を持った存在として再生するのです。
こうして彼は病気の治療能力を得て、鳥に乗るなどして地上へ帰ってきます。

それから、彼は天上世界にもトリップします。
ですが、高い世界ほどシャーマンと言えども簡単には行けません。シャーマンは世界の中心にある大きな樹を昇って、北極星のすぐ横にある天の穴からその上の天の世界に上がります。
彼は天上の様々な霊的存在と交流して、太陽や月にも行きます。太陽は多くの場合、守護霊もしくはその天の至高神です。
そして、シャーマンは太陽の使いである鷲 や馬に乗ったり、自分自身が鷲となって、天上を飛行します。

このように、シャーマンはトリップによって霊的な宇宙の構造、死者の世界や、動物の主の居所などを把握して、その様々な霊的存在や魂とコミュニケーションを取って、そして身体の霊的構造を知ることによって、シャーマンとしての仕事や、様々な問題を解決することができるようになるのです。

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2011年03月17日

成熟の童話

 成熟の童話には2つの意味、方向性を見ることができます。
1つは成人のアイデンティティーを卒業して中高年のアイデンティティーを獲得するもの。もう1つは、世俗的人格を越えて宗教的・神秘主義的人格を獲得するものです。
この2つには年齢や探究の深さに差がありますが、基本的なテーマ、性質には大差がありません。

成熟の童話の目的は、成熟の神話同様、通常の社会的自我が抑圧してしまっている、無意識の深い創造性を獲得することに関係しています。
これは同時に、利己主義の克服と密接に結びついていますので、利他性や自我が無意識のために献身することも求められます。
神話ではこれは獲得した物を神に捧げるという形で現れました。
成熟の童話には、他にも、男性が女性性を、女性が男性性を獲得することで心の全体性を実現るテーマも現れます。この場合、異性は成人の童話のような自我を補う潜在的人格ではなくて、完全に自我に統合された顕在的な人格になるのです。

成熟の童話の主人公は未婚の子供ではなくて、既婚者であったり、中高年者であったりします。
子供であっても、たいていは末弟で「でくの坊」と呼ばれるなど、象徴的に成人の社会的な価値観を否定しています。

物語の始まりは、主人公が健康で働き者であるにもかかわらず貧乏であったり、子供が生まれなかったりします。逆に裕福であるのに健康を損なっていることもあります。
あるいは王が健在であるのに、魔法がかけられて自然が不毛な状態にあったり、王女が略奪された状態であったりします。
つまり、これらは社会的な自我や価値観を獲得しているけれど、無意識的な創造性が欠如している状態を表しているのです。

主人公はまず、社会的な自我、価値観を否定しなければなりません。童話では、長年行ってきた仕事をやめてしまったり、猟師が魚を逃がしてしまったりするのです。
そして、これが利他的な行為に結びつきます。
つまり、自我の利益のために無意識を抑圧するのでなくて、無意識を解放するのです。
抑圧されている無意識は初めは攻撃的ですが、意識がそれを認めることによって創造的になります。
成人を求める主人公は積極的に何かを求めることが多いのに対して、成熟を求める主人公は利他的であることによって、もしくは受動的になりゆきにまかせることで、予期せずに何かを得てしまうのです。

トルコの童話『幸運ときこり』では、きこりはいくら働いても貧乏なので仕事をやめてしまい、人に自分のラバを貸すと、そのラバが黄金を積んで戻ってきました。
韓国版の『浦島太郎』である『龍王と海』では、猟師が魚を逃がすことで魔法の升を得ました。
アラビアの童話『猟師と魔神』では、猟師は海から引き上げた瓶に閉じ込められていた悪神を、悪神が猟師に攻撃的であるにもかかわらず、憐れんで解放してあげることで、魚を得て、それを王に捧げます。

主人公は、凝り固まった自我によって抑圧されてしまった無意識的な創造力を取り戻すために、地底などに象徴される無意識の深みへとダイヴすることもあります。
グリム童話の『3羽の鳥の羽』では、でくの坊と呼ばれる末弟の王子が、地下にいるひき蛙から絨毯などの創造的な物を得て、地上でそれらを探した兄達に競り勝って王になります。この成人にふさわしい兄達との差異の部分で、でくの坊は成熟のプロセスを表しています。

アリアドネをギリシャに連れて帰れなかったテセウスのように、童話の主人公も利他的行為や地下から得たものは、そのまま簡単には自分のものにはなりません。
無意識の領域に降りて行って、無意識の創造性に一旦触れることはやさしいのですが、日常的な意識の状態にまでその創造性を持ち帰るためには、もうワンステップをクリアしなければいけないのです。

『龍王と海』では、猟師は魔法の升を川に落としてしまい、犬、猫、鼠の助けで魚の腹の中から升を取り戻します。
『猟師と魔神』では、王が得た魚は消えてしまいまい、魚に魔法をかけた魔女をやっつけてはじめて魚は人に変わります。
『3羽の鳥の羽』のある版では、でくの坊は美しい妻を得ますが地上に上がるとひき蛙になってしまい、彼女にキスをして一緒に水に潜ることで美女になります。
同じグリムの『黄金の鳥』では、キツネを助けた末弟のでくの坊が黄金の鳥、黄金の馬、そして黄金の城の女性を手に入れますが、兄達に井戸に突き落とされてそれらを奪われます。
兄達のもとでは黄金の宝は力を発揮しませんが、でくの坊が戻って宝を取り返します。

つまり、利己的な日常の意識のもとでは宝は力を失ってしまいますが、無意識との深いつながりを持つために、再度の無意識へのダイヴを行なうことで、宝は初めて力を発揮するのです。
あるいは、最初に得たものは無意識の創造性のきっかけになるようなもの、象徴であって、それを実際に働かせるためには、それに向かい合って無意識から力を得なければいけないのです。

最後に童話ではありませんが、ヨーロッパ中世のアーサー王神話群の中の『パルティヴァルの聖杯探究』を紹介しましょう。
聖杯は十字架に張り付けられたキリストから流れる血を受け止めたものだと信じられていて、霊的な創造性を生む生命の水のような象徴的存在です。
聖杯探究の物語は、ペルシャの聖杯の神話やケルトの大釜の神話をリメイクしたものです。
聖杯探究の物語には、これまでに解説した様々なテーマが登場します。

主人公のでくの坊なパルツィヴァルが、立派な騎士を殺してしまう(父の不在)ことで騎士道に入り、悪い騎士をやっつけて(龍退治)女王と結婚します(花嫁の獲得)。
パルティヴァルは2人目の子が生まれる前に、久しぶりに母に会うために城を出ます。
母はすでに死んでいますが、彼は知りません(無意識の創造性の死)。
途中でパルツィヴァルは魔法にかけられた聖杯城にいる男根に傷を負った聖杯王(不毛、不健康)に会いますが、彼を助ける言葉をかけることができず(利己性克服の失敗)、剣を受け取って(無意識の制限)立ち去ってしまい、5年かけて再度、聖杯王を探します。

パルツィヴァルが異教徒の騎士と対決した時に、その剣が折れますが、敵は剣を持たぬパルツィヴァルを助けます。
その騎士は義兄弟であることが分かって仲良くなります(無意識の解放)。
すると、2人は聖杯城から招待されます。

パルツィヴァルはとうとう聖杯王に「どうなさいました」と声をかけます(利己性の克服)。
聖杯王はすぐに傷が回復し、パルツィヴァル自身が聖杯王になります。
そして、パルティヴァルの妻が2人目の子(深い創造性)を連れてやってきます。

posted by morfo at 16:36| Comment(0) | 成人と成熟の神話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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