2011年05月01日

グノーシス主義とソフィアの堕落

ローマ時代には、アレキサンドリアやエルサレムをはじめとして多くの都市、民族がローマに従属しましたので、反体制的な神秘主義思想が生まれました。
これは、この物質世界、つまりローマが模範として崇拝する星の世界やローマが支配する地上世界は悪神によって創造されたとする「反宇宙論」を特徴とした現世否定的な思想です。
当時の宇宙論の常識として、星の世界は物質の世界ではあっても調和に満ちた神々の世界です。
ところが、この星の世界までも悪の世界だとしてすべての秩序を否定したのです。
この傾向をもった思想は「グノーシス主義」と呼ばれました。


グノーシス主義の成立にはゾロアスター教やズルワン主義の影響を受けながらヘレニズム化したユダヤ教の異端派が主なバックボーンになっていると言われています。
ですが、グノーシス主義はユダヤ教だけでなくて、ヘルメス主義、キリスト教、そしてペルシャ系の宗教など、宗教や民族の枠を越えて生まれました。
グノーシス主義は本来的にハイブリッドなので、様々な地方で様々な派が生れ、変化していきました。


グノーシス主義は、個人の霊魂の中に存在しているこの物質世界に属さない神性を見い出すことで救われると考えました。
「グノーシス」とはこの霊魂の本来的な神性の認識のことです。
人間の中に神性があってこれを認識できるという考えは、秘儀宗教やプラトン主義、ズルワン主義の考えを受け継いだものです。
ですが、プラトン主義は自然の中にある神的なものから出発して霊的な世界を認識することで霊魂が救われると考えたのに対して、グノーシス主義は世界の一切を悪と考えたので、霊魂自身を認識することで救われると考えた点で異なっています。


グノーシス主義はその派によって様々な教義と神話を持っていましたが、全体的な特徴としては、宇宙の創造神話を人格神ではなくて抽象的な対になった男性/女性原理の系譜として表現しました。
そして、堕落するのは原人間アントロポスではなくて、多くの場合は「知恵(ソフィア)」や「思考(エンノイア)」などの女性原理なのです。
ただ、「言葉(ロゴス)」のような男性原理の場合もあります。
そして、この女性原理の堕落によって悪神である創造神(デミウルゴス、ヤルダバアト)が生れ、創造神が魂と宇宙を作り、この中に女性原理に由来する霊・神性が入ります。
これは創造神が閉じ込めたとも、女性原理が魂を救うために密かに植え付けたとも言われます。


最も初期の単純なグノーシス派の神話は、まず、「父」なる存在と「母」なる存在があって、「母」が堕落してこれらを「父」が救う、というものだったと想像されています。
ですがやがて、「父」から救済や啓示の役割が「子(息子)」として分かれて、「母」から堕落する存在が「娘」として分かれていきました。
さらに、どんどん複雑化して、30ほどの神的存在(アイオーン)が考えられるようになりました。


多数のアイオーンの中で堕落すると考えられた存在が、「知恵(ソフィア)」や「思考(エンノイア)」なのは、アントロポスの堕落のように地上の人間の霊魂の由来を説明するだけなのに対して、グノーシス主義の場合は宇宙そのものの創造の原因まで問題にしているからでしょう。
そして、この堕落するものがたいてい男性原理よりも女性原理なのは、女性原理の方が物質性と関係が深いことと、内在的な性質が強いからでしょう。

この女性原理が「知恵」や「思考」といった性質であることには、アナーヒター、マアト、イシス、ホクマーなどのオリエントの女神、ギリシャ哲学の「知恵(ソフィア)」からの影響があるのでしょう。
また、その堕落するという性質には、満ち欠けする月神(ダイアナ、セレーネー)、身を隠す豊穣神(イシス、デルメル)、冥界に下る豊穣神(ペルセポネー、イシュタル)などからの影響があるのでしょう。
特に、アイオーンが30ほどで存在するという点には月神との関連が深いと思われます。


女性原理の堕落の原因は、「自らが創造したものに次々捕まって引きずり降ろされた」、「本来の伴侶を無視して一方的に知り(交わり)得ない父を知ろう(交わろう)とした」などです。


キリスト教側からグノーシス主義の創始者であると言われているのは、サマリア出身でアレキサンドリアで魔術を学んだと言われているシモン・マゴスです。
ですが、この説は伝説のようなものです。
ユダヤの北にあるサマリアは、一般にユダヤ(エルサレム)とは別の神殿や宗教を持っていましたが、シモンはサマリアの自分の信者からは神と信じられていました。
シモン自身は自分を父なる「ロゴス」=「ヌース」であり救済者と考え、「第1の思考(エンノイア)」が堕落した地上での姿とされた娼婦ヘレネーを連れていました。
シモンのグノーシス主義のバックボーンには、サマリアの月神セレーネーや娼婦になったとも言われていたイシス神などが考えられます。


洗礼者ヨハネの弟子であると自らが語っている一派にマンダ教があります。
ですが、これは後世の創作かもしれません。
マンダ教は神的な至高の領域を至高神から順に生まれる4段階の神的存在として考えました。
また、グノーシス主義のアレキサンドリアの一派ベルベーロー派は、これを5段階で考えてそれぞれが男女のカップルであるとしました。


グノーシス主義の中でも最も複雑で体系的な世界観を発展させたのはアレキサンドリアのヴァレンティノス派やプトレマイオス派です。
彼らは新プラトン主義の影響を受けたキリスト教系のグノーシス主義者です。
彼らは、世界を3つの階層で捉えました。
それは「アイオーン界(プロレーマ)」と呼ばれる神の世界と、そこから分離された「中間的な世界(恒星天)」、そして、悪神が作った「物質界(地上と7惑星天)」です。
そして、人間の要素に関しても、神の世界に由来する「プネウマ(霊)」と、中間的な「プシュケー(魂)」、そして「肉体」として3元論で捉えました。
プネウマは恒星天や7惑星天のそれぞれに対応する魂や身体性の衣服を何重にも着せられて、地上に囚われます。
そして、プネウマは人間の死後、7惑星天と恒星天の悪い神々に捕まることを避けて服を返しながら、それらを通り抜けて、神の世界にまで帰るのです。


ところで、グノーシス主義のオフィス派は、創世紀の堕落の物語を独自に解釈します。
彼らによると、悪の創造神ヤーヴェがアダムとエヴァをエデンに閉じ込めていたのを、救世主的存在である蛇=霊が知恵の樹の実を食べさせることで解放したのです。
イエスも蛇=救世主の一つの形であって、イエスは人間に生命の樹の実を食べさせるために現われるのです。
この解釈には、認識を重んじるグノーシス主義のアンチ・ユダヤ的性質がよく現われています。 


グノーシス主義は特別な霊的認識を求めるので、当然、秘教的な性質を持っていて、公に向かって布教するような運動ではありませんでした。
また、グノーシス主義者はその反宇宙論的な世界観の結果として、現世否定的で、物質的な欲望の一切を否定する禁欲的な傾向を持っていました。
ですが同時に逆説的ですが、地上的な道徳の一切を否定してそれからの自由を主張する傾向がありました。
ローマの法律であれユダヤの律法であれ、地上の秩序を定めたものは悪神である創造神(デミウルゴス)や悪の天使・支配者(アルコーン)だからです。
 

posted by morfo at 18:58| Comment(4) | 堕落・救済神話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。初めてメール致します。
欧米で大ベストセラーになった『ロスト・ゴスペル』の邦訳版はご存じでしょうか。

邦訳版タイトルは『失われた福音』(桜の花出版)。
原書は、考古学に傾倒し、エルサレムのキリストの墓を究明したことで有名な
イスラエル在住のドキュメンタリー製作者兼著作家シンハ・ヤコボビッチ氏と、
トロント・ヨーク大学の初期キリスト教研究者バリー・ウィルソン氏の共著です。

邦訳監修:東京女子大学名誉教授 守屋彰夫

ダヴィンチコードで話題になった謎の部分が詳しく解明されています。
なぜ、イエスの結婚はなかったこととして、単なるうわさ話として
ほうむられたのか、キリスト教の性のタブーにも迫っています。
グノーシス派についても触れてあります。

興味がおありでしたらご一読ください。
Posted by haru at 2016年12月01日 12:27
haruさん、情報ありがとうございます。

知りませんでしたが、面白そうですね。
すぐには読めないんですが、読みたい本リストに入れときます。

当ブログでは「秘儀宗教としてのイエスとキリスト教」で関連した話題を扱っていますが、ここでは、結婚や子供の有無ではなく、性をめぐる秘儀や秘教的な解釈に焦点を当てて書いたと思います。
Posted by morfo at 2016年12月01日 13:02
こんばんは。

『失われた福音』では、パウロ教義と真っ向から対立、魂を浄化し、宇宙の乱れをも正す神聖な男女の交わりに其軸を見出しています。

イエスを神格化してきた敬虔なクリスチャンが、この本に大変な拒絶感を示したというのが、わからないでもないです。

けれども、
イエスのそれを拒否することは、イエスそのものを拒否することになるのではないだろうか?
 
「信仰」について考えさせられました。
Posted by haru at 2016年12月05日 00:30
haruさん、コメント、情報ありがとうございます。

面白そうですね。

私は、もう10年ほど、当時のキリスト教に関わる書は読んでおりません。

もともとのイエス運動(ガリラヤのヨシュア率いる思想運動)には宗教性はなかったというバートン・マックの解釈もありますし、史実については私にはまったく分かりません。

でも、信仰より直観的な知恵・体験を重視する解釈には興味を引かれます。
Posted by morfo at 2016年12月05日 13:46
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