2011年04月17日

イシス=オシリス神話

エジプト起源のイシス神はローマ世界で最も広く崇拝された女神です。
ヘレニズム・ローマの文化的中心地がエジプトのアレキサンドリアだったことから、イシスは文化的な交流の結果きわめて普遍性のある女神になりました。
それに、キュベレのように残忍な要素持たないために広く広がりました。

イシス=オシリス秘儀は古代エジプトの儀礼とエレウシス秘儀を引き継いだ形で、紀元前3Cにアレキサンドリアの国家神セラピスの神殿の祭儀として再創造されました。
まず、イシス=オシリス秘儀のもとになったエジプトのオシリス神話を見てみましょう。

「オシリスは妹のイシスと結婚してエジプト王となり、耕作、法律、神々の尊崇を教え、国は繁栄します。
弟でジャッカルとワニを合わせたような神セトがこれを妬んで、宴会でオシリスと等身大の棺を作り、これにピッタリの者にこれを与えると言いました。
オシリスがこれに入るやいなや、釘を打ち、棺をナイルに流しました。


棺は海を渡ってフェニキア(レバノン)のビブロスのイチジクの木の根元に流れ着きました。
イチジクの木が棺を中に包み込んで大きく育つと、ビブロスの王はこれを使って宮殿の柱を作りました。イシスはこれを知り、人間に身をやつして喪服を着て髪の毛を半分に切り落として、ビブロス宮殿へ行きました。
彼女は歓迎を受けたので、王子の乳母となりました。イシスは王子に彼女の指をしゃぶらせ、毎夜ツバメに変身して王子を不死にすべく火の上にかざしました。
ですが、王妃のアスタルテがこれを誤解して止めるように訴えたので、王子は不死となることができませんでした。
イシスは正体を明かして、柱を切って棺を見つけ、オシリスの死を改めて嘆くと、その泣き声で王子は死んでしまいました。
イシスがエジプトに帰る時に、ビブロスの王の長男が同伴したましが、怒れるイシスが彼を振り返った時と、彼も死んでしまいました。


エジプトに戻ったイシスは魔法によってオシリスの子を鷹神のホルスを孕みました。
また、棺をブートーの沼地に隠しました。
ですが、セトがこれを見つけて、オシリスの遺体を14に切り刻んでバラバラに撒いてしまいました。
イシスはミイラ作りの犬神アヌビスとネフティスの助けを借りて、13の部分を取り戻しましたが、男根だけはナイルの魚に食われてしまいました。
イシスは男根の模造を作って、油を塗るなどしてオシリスを復活させました。
こうして、オシリスは現世には戻れませんでしたが、霊界に留まってその王となりました。


セトはホルスが生まれることを恐れてイシスを捕まえましたが、知恵と朱鷺の神トートの助けで逃れて、ブートーの沼地でホルスを生みました。
セトは毒蛇の姿でホルスに忍びより噛んだため、ホルスは半死状態になりました。
イシスがホルスを助けてくれるように神々に訴えると、「ホルスが治るまで闇と不毛が続く」とトートが宣言したため、ラーがそれを避けるためにホルスを直しました。


その後、オシリスの魂は育ったホルスにセトとの闘い方を教えて、ホルスはセトと闘いました。ホルスは右目を引き裂かれましたが、トートがこれを元に戻しました。
ホルスはセトを鎖で縛ってイシスの元に連れて行きましたが、イシスはセトを哀れんで逃がしてしまいました。
ホルスは怒ってイシスの頭から王章をもぎ取りました(イシスの首を切ったとも言われています)。その後、ホルスはセトと2度の闘いの末、セトを打ち負かしてオシリスの後継者となりました」
 
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posted by morfo at 00:57| Comment(0) | 秘儀神話と秘儀宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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