2011年04月10日

ディオニュソス秘儀

よく調和的なアポロンと狂乱的なディオニュソスが対照的な神として比較されます。


ですが、デルポイのアポロン神殿の中の神託所にはディオニュソスの墓所があるといわれていて、アポロン神殿でディオニュソスへの秘密の供儀が行われていました。
それと同時刻に、熱狂する女信者達が童神ディオニュソスの目覚めを祈りました。


また、3年置きに女性信者達が冬にパルナソス山に行って荒ぶる舞踏を行いました。
これもディオニュソスを目覚めさせるためのものでしょう。


アポロンの本拠地には、豊穰神としてのディオニュソスがいるのです。


一方、アテナイでは1年に4つのディオニュソスの祭りが行われました。
真冬に行われた「レナイア祭」は、デルポイで行われた祭と同種のもので、エレウシスの祭司が童神イアッコスとしてのディニュソスを呼び出すものでした。
この祭の大、小2つの秘儀は3年毎に行われたという説もあります。


2〜3月に3日間で行われた「アンテステリア祭」は、最も古くから行われていたと思われる祭で、その内容は比較的良く知られています。


1日目には、ブドウ酒の奉納と飲酒が、2日目にはブドウ酒の飲み比べと、ディオニュソスの凱旋行進が行われました。
ディオニュソスは海からやってくると信じられていたので、台車に引かれた船が用いられ、ディオニュソスはこの上に乗せられました。
この行列には、仮装した人物や供儀の雄牛も含まれました。行列の時に頭上に乗せて運ばれる篭の中には、心臓(クラディアー)、イチジクの木(クラデー)の他にディオニュソス自身がイチジクの木から作った男根が隠れています。
この行列はこの日だけ開かれる聖域に至ります。

続いて、女王の後継者とディオニュソスとの聖婚の行進が行われました。
聖婚は牛小屋で行われたという説もあります。ディオニュソスの来臨と同時に死者の魂もやってくると考えられていましたので、3日目は死者達のために祈り、粥を食べて、夜になると祭りが終わったと宣言して、死者達を帰しました。
ここにはディオニュソスの冥界神という暗黒面が現れています。


ディオニュソスの秘儀はいつ行われたのかも含めてほとんど分かっていませんが、女性だけが参加しました。
エウリピデスの悲劇『バッコスの神女達』には、子鹿の皮衣を着て蛇を腰紐にし、仔鹿や狼の仔を抱いて乳を与える姿のディオニュソスの女性信者が、深夜に、笛・太鼓・タンバリンの伴奏に合わせて狂ったように踊りながら森を駆け巡って、犠牲の牛を引き裂いてその生肉を喰う姿が描かれています。


ディオニュソスの秘儀での狂乱は、ディオニュソス自身が体験した狂気を試練として自らに果たしているのです。
信者は熱狂の中で地上的な意識を引き裂いて、ディオニュソスの神性と一体化するのです。牛を引き裂くのはディオニュソスが引き裂かれたことの再現です。
そして、生肉喰いはディオニュソスの神性を得るための聖餐です。ですが同時に、牛は女性達の息子の象徴でもあって、牛を引き裂くことは、キュベレがアッティスを神の世界に引き戻したように、地上性を破壊する行為でもあります。
このように、「八つ裂き」には、神話だけでなく、秘儀の行為においても多義的な意味を持っているのです。

 
dionusoshigi.jpg

*ディオニュソス秘儀で狂乱する女性(「図説 古代密儀宗教」平凡社 より)
 
posted by morfo at 08:02| Comment(0) | 秘儀神話と秘儀宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。