2011年04月09日

キュベレ秘儀

キュベレ秘儀では、アッティス=キュベレ神話を次のように解釈します。

秘儀ではアッティスは復活してキュベレと結ばれるという結末を物語ります。
アッティスはキュベレから光背で飾られて星をちりばめた帽子を与えられた天上的な存在で、後の時代には太陽神とされました。
秘儀の解釈では、アッティスは人間の女性、つまり地上的・物質的なものに心を移して神性を失ったために、キュベレによって霊的な世界に呼び戻されるのです。


アッティスが男根を切り取って死ぬことは、彼が物質世界を否定してそこから脱出することを意味するのです。
神話上のキュベレの残忍な性質は、秘儀では物質性を否定し破壊する霊的な強い力として解釈されます。
これはチベット密教の護法神や守護尊の強烈さにも似ています。


ローマではアッティスの祭は春分の頃に行われました。
まず、本祭の1週間前に、捨てられた幼児のアッティスが河岸の芦の茂みで拾われたことにちなんで、芦束を集めて神殿に運びました。
そして、牡牛を供犠として捧げました。
また、この日から禁欲と断食を始めました。


本祭では、死んだアッティスに模した森から切った松の木が大母神の神殿に運ばれました。
この樹は祭の間に燃やされました。
そしてその日と翌日に、タンバリンを鳴らしながらアッティスの死を嘆きました。


3
日目には、神官や信徒達は笛とタンバリンとシンバルの音楽に合わせて熱狂的に踊りながら、体を鞭打ちナイフで腕を傷つけて、血を神像や祭壇にふりかけて、アッティスの死を体験します。
神官の中には実際に去勢する者もいました。
この日には、重要な儀礼である牡牛の犠牲式が行われました。神官は殺された牡牛の血を、その下で浴びるのです。


そして4日目の夜明けと共に復活を祝います。
休息の日をはさんで、6日目、キュベレ像を川に運んで沐浴させます。
帰りにはにぎやかな行進が行われました。


そして次の日に、個人的な秘儀が行われたと言われています。
この時にも、血を浴びる牡牛の犠牲式が行われました。
そして、聖餐も行われたようです。
飲食物はパンとブドウ酒だと言われていますが、雄牛の血肉であったかもしれません。
次に、雄牛の生殖器をキュベレに捧げました。
牛はアッティスの象徴で、牛の殺害は神的な霊魂の解放を意味すると同時に、牛の血を浴びることはその霊的な本質によって浄化されることを意味します。


一方、キュベレの公の祭儀は国家的な行事として4月に行われました。
御輿に乗せられた神像が町中を練り歩きました。そして、野うさぎの供犠が行われて、モレトゥムと呼ばれるチーズとスパイスの混ぜものが捧げられました。

「大女神の息子で恋人の少年神が死して復活する」というテーマの神話は数多く存在します。
キュベレとアッティスの神話がフェニキア、ギリシャに伝わって置き換えられた「アフロディテ・アドニス神話」もその1つで、秘儀も存在しました。
有名なサモス島の「カビリ秘儀」も同様で、大女神カベイロイとその息子カドミロス(カシュマラ)を中心としたものでした。
posted by morfo at 00:33| Comment(0) | 秘儀神話と秘儀宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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