2011年03月14日

成人の童話

童話には、部族的な成人イニシエーションや龍退治を行う英雄神話と同じ象徴性を持ったものが多くて、歴史的にもおそらくつながっていると思います。
つまり、童話には世俗化した神話や儀礼という側面があるのです。

童話には男の子、もしくは女の子が森の小屋で、恐ろしい存在に呑込まれたり、逆に相手をやっつけたり、相手から逃亡する話が数多くあります。
他にも、女の子が仮死状態の長い眠りに落ちたり機織などによって男性を救ったりする話が数多くあります。
これらは、両親から隔離されて、恐ろしい無意識的な力に触れて、子供として死に、大人としての能力を持って再生するというテーマを持つ成人イニシエーションと類似した童話です。

成人のプロセスを扱った童話の冒頭では、多くの場合、両親(特に主人公と同性の親)が死別や留守をしていたり、王や女王が幽閉されていたり、悪い伯父や継母、大臣に騙されていたり、あるいは彼(女)らに主人公がいじめられていたりします。
これは、主人公がまだ目標とすべき大人の人格を持っていなくて、これから獲得しなければいけないことを象徴しています。

そして主人公は何らかの理由で、森など無意識の領域に向かって出発します。理由は重要ではありません。
主人公が「何才の時に死ぬだろう」といった予言がなされたり、「家から出ないように」とか「どこどこには行かないように」といったタブーがあっても、主人公はそれを守りきれません。
これは、成人による人格の変容が、避けられないものであることを表しています。
女の子が主人公の場合、『赤ずきんちゃん』の赤ずきんや、『白雪姫』の赤リンゴなどが、初潮を暗示しています。

森の中の小屋は決まって登場します。
『ヘンゼルとグレーテル』で森の小屋がお菓子でできていたり、『白雪姫』では小屋の中には食事が用意してあったりします。これは、無意識や自然の豊穰性を表しています。

小屋にいたり、小屋にやってくるのは、大抵は魔女や狼ですが、これは部族的イニシエーションで出てくる怪物やクジラと象徴的には同じです。
魔女や助けにくる猟師、母親には、イニシエーションを司る祖霊も重なります。

部族的なイニシエーションでは子供が怪物に呑込まれ、大人によって助け出されます。
少年が主人公の『親指小僧』では、少年は牛と狼に呑込まれて両親などに助けられます。
少女が主人公の『赤ずきんちゃん』ではおばあさんと赤ずきんちゃんが狼に食べられ、猟師が助けますし、『狼と7匹の小山羊』では6匹の小山羊が狼に食べられ、母羊と1匹の小山羊が助けます。

火あぶりの象徴も童話に出てきます。
かまどの火は地母神による死と再生の象徴です。 
『ヘンゼルとグレーテル』の魔女は2人を炉に入れて焼き殺そうとします。
『灰かぶり姫(シンデレラ)』は文字通り灰にまみれています。

少年が主人公の童話では、「怪物に呑込まれる」テーマよりも、英雄神話の「龍退治」のテーマの方が多く登場します。
つまり、呑込まれた相手(童話では大蛇という形が多いようです)を逆に殺してしまったり、さらには、呑込まれることなく殺すのです。

「怪物に吐き出される」と「龍退治」の中間的な意味で、恐ろしい相手からの「逃走」というテーマがあります。
「逃走」には「怪物に吐き出される」よりも積極的な姿勢がありますが、「龍退治」のように無意識を制限することはありません。
「逃走」は「飛翔」や「疾走」と結びついていますが、これらはシャーマンのトリップに由来し、特定の無意識の力に捕らわれずに、様々な領域を移動する意識の自由さを示しています。
「逃走」には、鳥に助けられた飛翔による逃走、魔法の靴を履いたり、馬に乗っての逃走、動物などに助けられての逃走、何かに変身しての逃走などのヴァリエーションがあります。
それから他にも、何かを投げ捨ててそれを障害物にしての逃走というパターンもあります。この場合、投げ捨てるものは、毛をととのえる櫛のように自然を整理するものであったり、枝を捨てると森になるといった例のように、自然の力を媒介する象徴的な存在であることが多いようです。
 
部族的イニシエーションでは部族の様々な知識を身につけることが要求されますが、童話では、知恵を働かせて恐ろしい相手をやっつける、という形に変形されます。
つまり、知識が知恵へと変形されているのです。

童話の主人公は、異性を助けたり、異性を獲得することも多いのですが、男性と女性では違いがあります。
男性は「剣」などに象徴される言葉の秩序と結びつけて自我を形成すると同時に、「王女(お姫さま)」などに象徴される無意識的な創造性と結びつけて自我を補う「潜在的な人格」を形成します。
これと逆に、女性は「機織」などに象徴される無意識的な創造性と結びつけて自我を形成すると同時に、「王子」などに象徴される言葉の秩序と結びつけて自我を補う「潜在的な人格」を形成します。
「動物が異性の人間に変わって結婚する」テーマも良く見られますが、これは無意識から異性の「潜在的な人格」が形成されて意識的な自我と結びつけられることを意味します。

男性は、龍から女性を救出したり、女性の出す難題を解決したりします。この難題は、多くの場合、他界を訪れることに関係していて、象徴的には死と再生を経なければいけないのです。女
性の場合は、単に眠って男性を待っている場合もありますが、創造的な献身によって男性を動物から人間に変えることもあります。

女性は男性以上に無意識の力に接近して、それを男性に象徴される言葉の秩序に役立てる必要があります。
『白雪姫』では、白雪姫は7人の小人達のために家事を行います。グレーテルもヘンゼルを太らせるために食事を与える役をさせられます。
いずれも女性の家事のテーマが現れています。
『いばら姫』では紡績機の針に指を刺さされて女の子が眠りにつきますが、ここには女性として身につけるべき仕事である糸紡ぎと、子供としての死が示されます。『灰かぶり姫』では灰かぶりは、灰の中から豆を拾い上げる課題を果たします。
つまり、無意識の中から創造性を見出すのです。
『6羽の白鳥(白鳥の王子)』では妹が言葉をしゃべらずに服を編むことによって兄弟を人間に戻します。
この話には無意識的で自然な創造力を役立てて、男性に象徴される言葉の秩序に結びついた潜在的な人格を形成することが、見事に表されています。

この『6羽の白鳥』にも現れていますが、「喋ることのタブー」と「見ることのタブー」は成人のプロセスでも成熟のプロセスでも、神話や童話に世界的に普遍的に存在します。
一般的には、これらはどちらも「無意識に意識的・言語的・日常な秩序を持ち込むことによって、無意識の創造性を破壊しない」ということを象徴しています。
このタブーを破ると、無意識の創造性が意識にもたらされなくなったり、無意識のコンプレックスを生んだり、そのコンプレックスに捕まることにもつながります。
ですから、童話では「異界との交流が閉ざされ」たり、「富を失う」か、もしくは自分自身が「石になる」という結果を招いてしまいます。

posted by morfo at 15:36| Comment(0) | 成人と成熟の神話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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